本心はやりたくて仕方ないのに、
「どうしてもと頼まれて・・・」
自分には全くその気はなかったのに
周りからの強い要望に根負けしたかのような結果を装う人。

そんな人を見るたび
「自分のココロに素直になれば
もっと楽に生きられるのにな」
そう思います。

この正体は
今のご時世よく耳にする
「承認欲求」というものなのでしょうか。
誰かに必要とされたい。
必要とされていることを感じたい。
必要とされている自分を見せたい。

その気持ちはわからなくもないけれども、
果たしてそんな前置きはいるのかな、と。
「ぜひ、やりたいです!!」
ただそう言えば良いのでは?
それって、そんなに難しいことなのでしょうかね。
もし、素直に自分の本心をさらけ出すことに対して
どこかで格好悪い、恥ずかしいと思う気持ちが
そうさせているのであれば、
少々気の毒に思います。
等身大の自分で生きればいいんですよ。
偽りの自分の有効期限は、いつか必ず来る。

自分が人の目にどう映るかなんて
極論、私はどうでもいい。
なぜなら、大事なのは
「自分が人にどう思われるのか」なのではなく
「自分はどうしたいのか」だと思うからです。

ひとりひとり、
唯一無二のかけがえのない存在であることには
違いありません。
でも、
寂しい言い方なのかもしれませんが、
たとえ私ひとりがいなくても
この世の中どうにでもなっていくのが現実です。
「自分がいなければこの世界は回らない」といった思いは
ただの「錯覚」。

「頼まれて仕方なしに・・・」と
周囲の期待に応えるようなカタチを強調するのは、
「アナタがいてくれなくてはとても困る」
誰かに頼られることで
自分の存在価値を実感したいのかもしれません。
それはそれで大事なこと、
誰もが一生懸命に自分の人生を生きているけれども
同時に一方で私は
このようにも思っています。
「私ひとり、そんな大したことではない」

何かの選択に迷っている人に
「私はどうしたらいいですか?」
このように聞かれることがありますけど
私はいつもこう返します。
「あなたはどうしたいのですか?」
なぜなら、その答えはもうすでに
その人自身にあるからです。
それを知ってか知らずかはわかりませんが、
自分で最終選択をすることを渋る人は
結構います。

このような文言を見かけました。
人生に明確な「答え」はなく
「選択」があるだけ。
自分が決めたことを「正解」にしていくゲーム。

そう、
自分のことを決めるのは
いつだって「自分」なんですよ。
そこに「誰か」は関係ないし、必要ない。
自分のココロの声を素直に聞ける「耳」と
素直に受け入れる「ココロ」が
「自分の幸せな人生」というゲーム攻略のための
必須アイテムなのだと思いますね。



