「何か質問はありますか?」

勉強会、講義などの話の終わりに、こう尋ねられる場面が必ずあります。

 

ここで質問ができるかどうか。

質問がないということは

「話の全てを完璧に理解したから、何も聞くことがない」という場合もあるだろうけれども、

私の場合こういう理由が多かったなと、気が付きました。

 

質問が浮かぶほどそのことをまだ理解できていないから、

質問が「できない」のだ、と。

 

 

これまでいろいろな勉強会、講義を受けてきましたが

講師へ質問を投げかけるのは、その時の参加者でだいたい同じ人であることが多いです。

 

最初の質問に対して講師が回答した後、それを踏まえてまたさらに質問をする。

このラリーが何回も続く人も。

「すごいな、この人・・・」

のんきに関心している場合ではないのですけど、同じ聴講者でこれほどにも差があるのかと、

レベルの違いを肌で感じたのを覚えています。

 

私の頭の上を通り過ぎていくやり取り。

これはとても記憶に深い、健康運動指導士の講義での一幕だったのですが

私にとっては、本当に内容が難しいものでした。

今思えば、質問していた受講者も講師も、両方医師でしたね。

 

自分の専門ではない分野のことでも

それをいかにして自分ごとに置き換えて話が聞けるか、これがとても大事です。

分野が違っても、共通していることはたくさんあります。

 

いろいろな人と出会う中で、最近特にこう思います。

「どの業界も、人の役に立つためにある。根底はみんな同じだな」と。

 

 

最近参加した、ある勉強会。

「何か質問がありますか?」の場面で、

「こういう場合は、どうすればいいのですか?」と聞けた自分。

 

それはカラダに関する、ある疑問を解消するために参加したもの。

講師の回答は私の疑問を解消するだけに終わらず、

新たな視点・選択肢を自分の中に増やしてくれました。

 

質問しなければ得られなかった学び。

最後に付け加えられた「とてもいい質問ですね」の言葉に、

「学びとは、こういうことなんだな」と実感できましたね。

 

 

日頃はいろいろなことを質問される立場。

 

中には「どこでそんなことを聞いてきたのか?」という

全く的外れな内容に驚くこともしばしば。

 

それを信じてしまう人がいる現実、本当に危険で恐ろしいなと。

 

私が困った時に頼る方々はいつも、納得の回答で抱えるモヤモヤを一気に解消してくれます。

それは、それだけの経験をしているからこその言葉。

 

情報過多の現代、手軽にいろんなことを調べられ、

AIが何でも教えてくれるけれども

経験した人間でしか伝えられない言葉の重み、その価値は何にも代え難いと

私は思います。

 

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